茶色のもふもふの話
ポメラニアンの女の子、『まめこ』と暮らしています。
来た当時は手のひらサイズで豆のように小さかったので、『まめこ』。2年たった今は、チョコレートより甘い家族のもとに来たせいで、小太りの豆ぐらいに成長しました。
ミドルネームは『ポン』です。犬にミドルネームってなんやって感じですが、名付け親戦争の唯一の妥協案でした。なぜ『ポン』か。長くなるので理由は割愛。
私がまめこに会って変わったこと、本当にたくさんあるなあと思って。とりあえず、書きつつ少しずつ整理してみようかなと。
①『素朴な優しさ』を知る
まめこ、本当に手がかかります。私がご飯食べている最中に絶対トイレするし、ソファも階段も上れないし、散歩中匂いばかり嗅いで動かないし。
でも、そんなお騒がせな小さき隣人は私に暖かい優しさをくれる。
ふわふわの毛に顔をうずめる瞬間、香るまめこの匂い(通称:まめこ臭)。
お風呂上りに、拭き残した部分をぺろって舐めに来るまめこ(通称:小さいバスタオル運動)。
生まれて3か月で親と離され、我が家に来たまめこ。よく考えたら、つらかっただろうなと思う。そんな中でも、家に帰ってくれば大喜びしてくれて、泣いていたらピタって寄り添っていてくれる。涙をぬぐった手をなめてくれる。
小さくても、言葉が話せなくても、必死に私を思いやったり、どうしたら元気になってくれるのか、考えたりしてくれているのかな。
素朴な優しさをありがとう。本当の優しさをもらうときに、言葉は必要ないんだね。これはきっと、私がだれかに優しさをあげるときも。
②愛するということ
まめこと目が合う瞬間って、あー幸せだなって思う。自分で書いててカップルみたい。笑
でも本当にそうなんです。
一挙手一投足が愛しくて、かわいくて。どんなことしてても「かわいいー」って言える自信がある(親バカ)。
「愛され」て私は育ってきたと思う。だけど、「愛す」ることは私にはまだむずかしい。でもきっと愛するって、壮大な事ではなく自分の日常にくっついているものなんだろうな。
まめこが座っているだけでかわいい。寝ててもかわいい。
何かをかわいく思う気持ちは、それを大切にしたいと思うことで、きっとそれは愛の一つだ。
それを教えてくれた、まめこ、ありがとう。
私とまめこの物語はまだまだ続きます。
今はまだ私の妹くらいな感覚、いつか相棒くらいに頼もしくなってくれたらいいのだけど。とりあえず、階段は自分で上ってほしいです。