なぜ私は文章を書かなくなったのか。
今まで書いてきた自分の文章たちを、はてなブログに移したはいいものの、
それに満足をしてしまって早半年。
ご無沙汰しています、るんです。
あれ、もうタイトルに対する答えが出てしまった気がします(笑)
でも、まだ自分の知らない深い答えがあるかもしれない。
ということで、久しぶりに自分の言葉と向き合ってみようかと思います。
なぜ、私は書かなくなったのか。
そのことについて書きたくなったのは、友人の書くブログを久々に読んで、
「やっぱり書くのっていいなあ」と思ったからです。
誰かの言葉の塊に触れるとその一瞬だけ、
自分ではないその誰かの人生を共に歩むことができる。
いつもは、私は私でしかいられないはずなのに、触れているその時だけは、
真夜中の新宿で煙草をふかすことも、アフリカのどこかで朝食を食べることも、
哲学者になりきることもできるのです。
そんな魅力に私は虜になっていたのに、そのことをなんだか忘れちゃってたみたいです、、!
改めて本題に戻ってみると、
まず私にとっての「書く」がどういう意味を持っていたのかが見えてきました。
これはいささか自己中心的で荒々しい答えですが、
たぶん私も、誰かに私の人生を歩んでほしかったのだと思います。
そもそもブログを書くきっかけとなったのが、去年適応障害になったこと。
あの時期、私はとても孤独で、またコロナ禍で思うように人と会えないことにも、
もどかしさを感じていました。
だからこそ、むき出しの自分を、言葉の塊に変えて誰かに向かって投げた。
誰でもいい、誰かに受け取ってもらいたかった、
この孤独を誰かにも共有したかった。
そんな自暴自棄な感情を原動力に、ひたすら言葉の塊を作っては投げ、
作っては投げをしていたように思います。
そして、数か月して、私はあまり言葉を書きたくなくなりました。
書きたいことが何も思いつかなくなってしまったのです。
それは、ただ「飽きた」からなのかもしれない。
でも、もしかしたらこの「投げる」という行為のおかげで、
私の孤独が少し癒されたからなのかもしれない。
正直なところ、書かなくなった理由なんてないのかも。
自然と書きたいことがなくなって、自然と内より外に気持ちが向くようになり、
そしてまた自然と書くことに戻ってきた。
ただそのサイクルを巡っているだけなのかも。
実はこんなに期間が空いて、またブログを書くことが少し恥ずかしくなってしまったのも事実です(笑)
それっぽい考察をしてみたけれど、実際のところ、こんな人間臭くて、ちょっとダサい、そんな感情が一番根底にあったりも、またするのかもしれないですね。
ほそぼそと、これからも書いていこうかと思います。