るんさん、つれづれ。

日々の徒然を綴っています。かなりの不定期更新です、悪しからず。

サンタクロースはいると思う。

 white ceramic teacup

クリスマスの日ギリギリに、私は一つ公表したいことがあります。

突然ですが....私、

 

サンタさんっていると思います!!!

 

大学生にもなった人間が、なにを言っているのかと思っている方もいることでしょう。けれど、私は誰が何と言おうとサンタさんを信じ続けます。

 

残念ながら私のもとに、もうプレゼントは届かなくなってしまったけれど、今でも世界のどこかで、彼は子どもたちに夢を届けているのだと思う。

少し悲しいけれど、次の世代の子どもたちにポジションは譲らないといけない。

世代交代です、、。

 

このnoteを書こうと思ったのは、「信じる」って最高にクールだって言いたかったからです。

大人になるにつれて、私は「信じる」ができなくなってきてしまった、ということに気づいたから。

いつから「信じる」が難しくなってしまったのだろう、

今日は今までの私とサンタさんの物語を振り返ってみようと思います。

 

 

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幼稚園生の私とサンタさん

幼稚園生の頃の私は、周りのみんなと同じように、毎年クリスマスイブが近づくにつれて、ひたすらワクワクしていました。

周りの子たちとプレゼントに何を頼んだか言いあったり、

「手紙は書いた?早く寝ないとね」なんて言ってみたり。

 

未だに覚えているプレゼントは、おままごとセットです。

当時、幼稚園で家族ごっこが大流行していたため、フライパンやら野菜のおもちゃやら、必需品だったわけです。

ちなみに私はお姉ちゃん役が大好きで、絶対に譲らない頑固さで時折友だちを困らせました。

 

小学生の私とサンタさん

小学校に上がった私は、「サンタポスト」というものの存在を知ります。

親曰く手紙をサンタさんに届けるためには、街なかにある専用のポストに投函しなければいけない。

 

私はとりあえず自分の手紙が目立つように、キラキラしたシールやサンタさんの絵をでかでかと描いて、かなりド派手な手紙を作成していました。

 

そんないつかのクリスマスに、今までと違うことがありました。

それは、なんとサンタさんから返信の手紙が届いたこと。しかも日本語で!(笑)


それが本当に心の底から嬉しくて、思いを込めたものはこうやって返ってくるんだ、と感覚的に学んだように思います。

それから毎年、クリスマスの日にプレゼントと一緒に手紙も届くようになりました。

 

小学校中学年になると、私は世界共通語が英語だと知ります。

これはサンタさんの手を煩わせるわけにはいかない!と、アルファベットで"Merry Christmas"の書き取り練習なぞ始めたり。

 

そして海外ではクリスマスに、サンタさん用のクッキーを焼くことを知って、人生初のお菓子作りにも挑戦しました。

こうやって、別の言語やお菓子作りに触れる最初の機会をくれたのは、サンタさんだったのかもしれません。

 

「サンタさんはいない」が格好いい

きっとこれを読んでいる方の中にも分かっていただける方、いらっしゃるのではないでしょうか。


小学校高学年にもなると、一部の同級生たちが「サンタなんているわけない」と言い始めました。

最初は少数派だったサンタ存在否定派が、じわじわと勢力を伸ばし、いつのまにやら多数派へと上り詰めたのです。

 

これは私にとって、非常に深刻な事態でした。

公の場(教室)で「信じている」とでも言おうものなら、どんな迫害(笑)に遭うのか....。元々石橋を叩きすぎて叩き割るタイプの私は、周囲に同調する道を選びました。

 

たかがサンタいる/いないの話でしょ?と思われるかもしれませんが、小学校高学年当時の私には、相当衝撃的な出来事でした。

サンタさんを信じている私って「ダサい」のか、いないって言いきれるみんなは「大人」のか。

必死に「大人」になりたくて、私は散々取り繕いました。

クリスマスが近づくたびに、後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。

 

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中学生の私とサンタさん

サンタさんという文脈で書く中で、中学生時代の私はまさに黒歴史でした。

想像に難くないですが、クリスマスは同級生たちの間でただの「イベント」になりました。

もちろん私にとってもです。

 

「サンタさんなんて、さすがにもう信じてないよ」

 

そう自分の口から発するたびに、それが体に染みついていきました。

形ばかりの手紙は書き続けていたけれど、あのワクワク感は感じられなくなってしまった。中学生らしく、クリスマスデートに憧れてみたり友だちとクリパをやってみたり。それはそれで楽しかったけれど、どこかさみしい気持ちになりました。

 

とある年のクリスマス前に、私は人生で一番印象的な映画に出会います。

それがポーラー・エクスプレス

知っている方もいらっしゃるかもしれません、ちなみにこの映画は今でも大好きです。

 

クリスマスの日にだけ現れる特別な列車、ポーラーエクスプレスに乗って、北極点のサンタクロースがいる街まで旅に出るという物語。その主人公は、サンタさんを全く信じていない男の子です。

これ以上はネタバレになってしまうので言わないけれど、私は久しぶりにあの「ワクワク」を感じました。

 

信じないって、全然格好良くないのでは...?

小さな疑問が、心に浮かびます。

この映画を見た年のクリスマス、私は久しぶりに気持ちを込めた手紙を書いてみました。

「私もポーラーエクスプレスに乗りたいです!プレゼントはそれで!」

 

こんな自分勝手な子どもにも、サンタさんは丁寧に返信をくれたのでした。

 

ポーラーエクスプレスは、本当にあります。あなたも乗せてあげたいけれど、もっと困っている子どもたちが世界にはたくさんいる。だから、いつもすぐに満員になってしまうんだ。それに、あなたは電車に乗らなくてもきっと大丈夫。

 

たしかこんなことが書いてあって、正直残念だったけれど「もっと困っている子」ってだれ?という素朴な疑問が、初めて生まれました。

実はその疑問が今も延長線上につづき、大学で他の国のことや様々な問題のことを勉強したりすることに繋がっています。

 

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サンタさんはいる!

高校以降のことは、文量の関係から割愛します。

だいたい「ポーラー・エクスプレス」を、クリスマス前に観るようになりました(笑)

 

このnoteを読んでくれた方々に、私は「みんなサンタを信じよう!」と言いたいわけではないのです。どんな形でも、ただ、自分にとっての「信じる」を振り返ってみたら、色々面白いことに気がつくかもってことをお伝えしたいです。

 

きっと何かを信じている自分のことを振り返ってみたら、意外と格好良く見えたりするのではないでしょうか。

信じることを忘れていない人に出会うと、私はとても格好良いなと思ったりします。

 

あ、日付を見たら12/25になりました。

メリークリスマス!